粉砕された私とひとつまみの君の欠片ごと再構築して、もういっぺん

 ロイヤルイッシュ号の上で夕日を眺めながらふたりは無言であった。船のエンジン音と波が高く船体を打つ音で自分たちの声がかき消されてしまうことを、トウコは知っていたので、ただ黙ってゲーチスの傍らで潮風を浴びていた。
 唐突に、もしかしたらこの夕日が私の心を癒やしてくれるとゲーチスは思っているのかもしれない、とトウコは思った。何か話をしたほうがいいような気がしてきたが、トウコがゲーチスと目を合わせると、彼は「そろそろ部屋に戻るとしましょうか」と言ったので、トウコは安堵した。
 Nとトウコの交際を、誰よりも喜んだのはゲーチスだった。
 Nは年頃の男にしては珍しく、自分の父親を敬愛していた。ポケモンを自分のものにするためだけにNを養育していた男のどこに称賛する部分があるのか、トウコにはわからなかったが、Nはゲーチスが自分たちの交際を認めてくれたことを心から喜んだ。これで世界には何の憂いもなくなったと、本気で信じていた。トウコはゲーチスが自分たちの行動を受け入れることで、何か得られるものがあるのだろうと踏んでいたが、Nの幸福そうな表情を見ているとそんなことも言えなかったし、そもそもトウコには父親がいなかったから、年上の男というものが、よくわからなかった。
 船内の部屋に戻るとゲーチスは一直線に、いつお湯を沸かしていたのかコーヒーを淹れてトウコに差し出した。トウコはあまりコーヒーが好きではなかったが、右半身の不自由をおして自分に淹れてくれたのだと思うと断れず、「ありがとう」と一言述べて受け取った。ゲーチスは、ソファーや低い場所に掛けるときバランスを崩してしまうことがある。トウコはゲーチスが隣に座った拍子にコーヒーをこぼして火傷することがないように、彼が隣に座るまで身を固くして待っていた。砂糖を何杯入れたのか、コーヒーは不自然に甘かった。よく混ぜられたミルクと砂糖はゲーチスの生真面目な性格を表しているようだった。
「この船も昔よりはマシになりましたね」
「え?」
「昔はもっと揺れたんですよ。おちおちコーヒーも飲めませんでしたよ」
「はあ」
「ワタクシの体がこうでしょ? ですから余計、船になんて二度と乗るものかって思いました」
 船が揺れているわけではないのだったら、この体の震えはなんなのだろう。寒いかというゲーチスの声がやけに近くから聞こえたような気がした。実際に近かった。コーヒーカップを取り上げられたときようやく異変に気付いたが遅かった。トウコは、このままゲーチスに何もかも奪われてしまう気がして恐くなった。
「Nは、」
「やはり彼のことが気になりますか」
「教えてくれるって、言ったじゃん」
「安心しなさい。彼の居場所はわかっていますよ。もっともアナタはもう二度と彼に会いたいなどと思わないでしょうがね」
 トウコは自分に触れるゲーチスの右手を両腕で押さえつけたが、容赦なく伸びてきた左腕に簡単に押し倒された。柔らかいソファーにバウンドしながら倒れこみ、視界には金色の明るい天井とゲーチスしか映らない。
 トウコはいやだと繰り返した。体に力が入らなかった。さっきの甘すぎるコーヒーに薬が混ぜられていたのだろう、全身の産毛が焦げるような熱を、この男によって受けることは屈辱以外の何ものでもないのに、抗いようのない気持ちよさを感じている自分に吐き気がした。
「こんなこと、やめて」
「アナタが欲しいのです。アナタとワタクシの子なら、きっと完全体になれる」
「いやだ。Nにあいたい、Nにあわせて」
「ではこうしましょう。ワタクシとアナタとの性交渉が終わったら、ワタクシがあの子の元までお送りします。それでいいでしょう」
 ゲーチスの舌がトウコの太ももを這った。ゲーチスの不遜な言葉にとうとう泣き出したトウコは足をばたつかせ、飄々とかわしていたゲーチスだったが、トウコの膝が顔を払いモノクルが落ちるとトウコの腕を力任せに握った。
「痛い……」
「失礼。手間をかけるのは、あまり好きではないのですよ」
 すぐ終わりますと言ってゲーチスは笑った。