! 甲斐ちゃんじゃりんこ時代




初夏の大気が蒸している。
雨があがったあとすぐに晴れたので、世界はみずみずしくひかっていた。

けっこんしきがみたい。

甲斐姫のわがままに、彼女を蝶よ花よと愛でている氏長も初めは首を横にふっていたのだが、
やはりかわいい娘の願い、小太郎の護衛付きなら、としぶしぶに許可がおりたのだった。


「見えるか子犬」
「ぜんぜんみえない。もっとちかづいて」
「承知」


森の中。音をたてないように、こそこそとゆく。
だれにも姿をみせてはならない、というのが氏長の条件であった。


「あすこに、白無垢が見えるだろう」


田園の向こうを指さしながら小太郎が言った。
肩当ての上にのっている甲斐姫は、よほど関心があるようで、
身をのりだすものだから、危うく肩から落ちそうになり、あわてて小太郎の手をつかんだ。


「し、しろいの……あ! あった!」
「あれが花嫁だ。今から花婿の家にゆくのだ」
「すごいぎょうれつ……」
「クク……大儀よな、この暑さのなか」


季節はもう夏だった。
日差しの下、動けばすぐに汗が流れ、頭上ではセミが狂おしそうに鳴いていた。


「あの女は行き遅れの娘なのだ。めでたくも嫁入りの話が舞い込んだ故、両親ともにこの機をのがすまいと躍起なのよ」
「やっき?」
「必死、という意味だ」
「あたしばばからきいたよ、おんなのこは、はやく、とつがなくちゃいけないんだって」
「左様」


言葉をかわしていたふたりの視線が自然とかちあい、
甲斐姫の、大きなひとみが小太郎をとらえた。


「あたしもいつかおよめにいくのね」


小さな口は、そんな言葉を紡いだ。


「あたしも、みしらぬとのがたのもとへいくのね」
「……そうだ。それがうぬの仕事だ」
「……おしごと、なの?」
「うぬにしかできぬ、大切な仕事よ」


女とは、産まれたときより聡いものなのだろうか。
小太郎は愉快であった。
なんともいえず、愉快であった。

甲斐姫の視線はもう一度行列にむけられた。
小太郎もそれを追った。
ふたりとも、あの花嫁に甲斐姫を重ね、北条の未来を見ているのだった。


END
(2012/03/03)