濮陽を奪ってから、曹操との戦が続いている。
今のところ退け続けているが曹操が引く気配はなく、時を置かずして攻めてくる事は明白だった。
いささか呂布は疲れていた。
たたかうことが好きで戦も連戦連勝、文句などないが。
「張遼。陳宮は何処だ」
「はっ、軍師殿でしたらまだ城壁の外を視察中かと」
城門に向かっていた呂布は赤兎馬のたずなを引き、ぐるりと後ろを振り返った。
見渡せども見渡せども、転がっているのは死体ばかり。
ちっ、と舌打ちをして拱手する張遼を置いて、いま来たばかりの道を引き返した。
目を細めながら城壁の周りをゆっくりと進んでいると、見慣れた後姿が楡の木の前にあった。
「陳宮」
大木の前の陳宮は、呼ばれる前から彼の存在に気づいていたという風にゆっくりと振り返って頭を下げた。
「いやはや呂布殿」
「何をしている」
「いえ、先の戦で大柄な男に吹っ飛ばされましてなあ。拍子に帽子が、帽子が落ちてしまったのですよ」
「失くしたのか」
「あそこに見つけました」
あそこと言いながら指差すほうを見ると、楡の木の枝に陳宮の帽子が引っかかっていた。
あんな高いところまで帽子が吹っ飛んだのなら陳宮自身よほどの力で吹っ飛ばされたに違いない。
呂布がチラリと陳宮の顔を盗み見ようとすると、お互い相手のことを考えていたのか目があった。
陳宮は眉を下げ、申し訳なさそうに呂布を見つめた。
「呂布殿。お願いが、お願いがあります」
「自分で取れ」
「まだ何も、何も申しておりません」
「言わなくてもわかる。木くらい登れるだろ。それとも出来ないくらいの怪我をしているのか」
「怪我は、ありませんけれど……」
あごで木を指すと、陳宮はためらいつつも、一応は木に手をかけた。
だが足をかけられそうな場所などなく、また小柄な陳宮は幹に手が届かない。
背伸びをして指先を震わせている陳宮がおかしく、呂布は少しだけ笑った。
「なんだ陳宮。お前木登りできないのか」
「こんな大きな木に登ったことはありませんし、今日は脇腹を少しぶつけたのです」
「なに、やはり痛めたのか」
早に言えばよいものを。
呂布がそう言ったときには、すでに陳宮の顔色は曇っていた。
笑われたのが悔しかったようで、もう呂布殿の手を煩わせることはしませんのでご安心ください、と刺々しく言い放ち、立ち去ろうと拱手する。
「怒ったのか」
「別に怒ってなどいませんよ、えぇ怒ってなどいませんとも」
「怒ってるだろう」
ここで逃がしたら最後、陳宮の機嫌をなおすのは難しい。
一晩眠れば大抵のことを忘れてしまう呂布とは違い、この頭の回る軍師は何日経ったって根に持つのである。
呂布は周りを見渡し、誰もいないことを確認してから馬を下りた。
担いでいた奉天戟を地面に突き立て、陳宮のわきにしゃがみ上に乗るように指示をする。
「……よろしいのですか」
口ではそう言いつつも、陳宮の声は弾んでいる。
「早くしろ」
「では、お言葉に甘えて」
陳宮の足が呂布の首をまたいだ。
ズボンの部分を掴むと、いきなり勢いよく立ち上がったものだから上に乗っていた陳宮はわっと声をあげた。
「ははは」
「殿ッ、危なくしないでくださいませ!」
「わかったわかった。ほら、もう手が届くだろ」
頭上で陳宮が背伸びをする重さを肩で感じながら呂布がいう。
「殿。取れました、取れましたぞ」
「ああ」
「陳宮は策を思いつきましたぞ」
「は? 今か」
「えぇ、今です。このまま聞いてくださいませ。
武人の方々は皆大柄故、小さきワタクシのような者とは思うところも違いましょう。その方々の気持ちを知った上で策に嵌めることができれば一番です。
殿、このまましばらくワタクシを乗せたまま歩いてください。さすればこの小さき陳宮めにも敵方の気持ちが今まで以上によくわかるようになり、策も立てやすくなりましょうぞ」
早口でまくしたてられ、口を挟む間を与えない。
「さあ、呂布殿。さあさあ」
「…………」
助けを求めるように赤兎を見れば、主の何かを感じたらしく手綱がするり、手の中から逃げていった。
赤兎馬はその場を少しだけ離れ、しかし手の届く程度の場所で蹄を二、三鳴らす。
――じぶんは此処で待ちます。
きっと、そんな風な意味合いだろう。
「……少しだけだぞ」
心の中では、何だそれはと思いつつも、結局は陳宮の言に押し切られ、呂布はそのまま楡の木の周りを歩きはじめた。
たまに陳宮が頭上でバランスを崩しぐらぐら揺れた。
大道芸人のように、ほっとか、ややっとか言う様はどう見ても子どもの遊びだった。
「高い! 高いですぞ、呂布殿ッ」
「あまりはしゃぐと落ちるぞ」
「すごい。改めて思いますが、毎日こんなに高い視線で物事を見ているのですね」
「俺には普通のことだ」
「これほど高く睥睨できるなら、何事も、成せぬことなど無さそうに思えます」
こんなことで策が思いつくようになるなら苦労などいらない。
心の底からくだらないと思ったが、そう思いつつも呂布は陳宮を支える手に力を込めていた。
肩の上の陳宮は、愛用の方天戟よりも、身に着けている具足よりも、ずっとずっと軽く、どうにも呂布を心許ない気持ちにさせた。
なんせ羽のように軽いのだ。
腕っ節に自信あるものが強く殴れば陳宮は簡単に死ぬだろう。
陳宮が、死ぬ?
呂布は足元に転がる死体の山に目を向けた。
そこに陳宮がまぎれているような気がした。
そんな呂布の気持ちなど露知らず、陳宮は君主による特別扱いにはしゃいでいた。
西日の前で両手を大きく開き羽ばたくような姿をしてみせるので、呂布は人の気も知らないで……と呆れ、
いい加減降りろと自軍筆頭軍師を窘めるのだった。
了(2014/02/17)
(何だかんだ言って甘やかしてるひと)
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