亡霊の真似事
数日ぶりに江戸城を訪れると、何者かの気配があることに忠勝は首を傾げた。
こちらが天井を見上げたり、物音をたてると気配が止むので鼠かと思ったが、
娘の稲姫も落ち着かないように辺りを見回しているのでそれは確信へ変わった。
「半蔵はどこだ」
「此処だ」
名を呼べば、天井から落ちるように現れる。
その腕のものを見て忠勝は笑った。
「どうやら鼠ではないようだな」
「わざわざ米屋の猫を借りてきたのだが」
当てが外れた、と半蔵は天井を仰いだ。
彼の腕の中の白猫も、また天井を見上げる。
「いつから」
「お主が城を離れてより」
「我に関わりある者か」
「わからぬ」
「なんだ半蔵。むくれているのか」
半蔵はじろりと忠勝の巨躯をにらんだ。
数日間探しても見つけられないでいる手練れが、自分よりも忠勝を恐れていると思うと面白くないのだ。
被害がないので様子を見ようということになったが、
見計らったように城中のあちこちで盗難騒ぎが起こるようになった。
高価なものは盗られなかった。
無くなっても差し障りのないものばかり狙われた。
西で失せ物があれば、気配は東へ。
東で騒ぎがあれば、気配は天守へ。
ゆらゆらと掴めない気配。
それに怒りを示したのは、やはり半蔵だった。
「伊賀忍の誇りにかけて、盗人を捕まえる」
服部半蔵率いる忍軍団は徹底的な包囲網を敷いた。
決して彼のふんどしが立て続けに盗まれたからとか、そういう理由ではない。
鼠一匹逃がさない構えが三日三晩続き、その間気配は城のなかに現れなかった。
包囲網をとくと、気配はまた現れた。
そして再び包囲を固めると、気配は消える。
そうやって三月も捕まえられずにいるものだから、誰彼無くこれは亡霊の仕業だといい始めた。
「誰の亡霊と云うか」
「北条の亡霊だ」
「馬鹿な」
「我々をさぞ恨んでいたに違いない。裏切られ無念であったのだろう」
両者は同盟を組んでいたが、徳川は豊臣方につき、北条は滅亡した。
亡霊がふんどしや夕餉のおかずを盗むはずなかろう。
そうたしなめても数か月前のできごとに、侍女や下働きの者たちは気味悪がって噂話を止めなかった。
紅葉した葉が時をきざむように落ちていく。冬の訪れが皆の不安を煽っていた。
「どうしたものか」
庭に面した廊下でばたりとかちあった忠勝と半蔵は、腕組みをして件の気配について話し合った。
日差しは白く、庭の土をからからに乾燥させていた。
「これほどの手練れはそうそうおらぬ」
「左様。しかし何故このようにまどろっこしいことをするのか、忠勝には理解できぬ」
「どちらがいいかと言えば、俺も亡霊のほうがいいかもしれない」
「さすれば知り合いの住職を呼べばいいからな」
ハハハ、と忠勝は笑った。
半蔵も口元をやわらかく歪めた。
「風魔」
庭に向かって、半蔵が件の気配を呼んだ。
「いい加減出てきたらどうだ」
問いかけを北風がさらって、冬の匂いのする表の絵がぐにゃりと歪み、そうかと思えばもうそこには風魔がいた。
紅い髪と青白い異形の姿は自分たちのなかにある風魔の姿と寸分変わらなかった。
何年経っても、風魔は姿を変えないだろう。
「風魔。お主が優れていることは重々承知。何故かようなことを致す」
「半蔵。忠勝」
連れ歩いている犬さえ風魔の元にはいなかった。
死んだのだろう。
「我はさみしい」
「お主がか」
「うぬらの作りし秩序では、我は生きてはゆけぬ。娑婆も落ちた。泰平はつまらぬ」
風魔のよく手入れされているであろう手甲が、白日の光を反射して、真新しい血液を、欲しているかのようだった。
「お主の身を思っておる。常人には計り知れないものをお主は抱えておるのだろう」
「役目が終わったは影も同じ」
「我も死にたい」
忠勝と半蔵はよもや白昼夢でも見ているのではないかと思った。
知らぬうちにどこかに頭をぶつけて、己のつむりがおかしくなってしまったような気がしていた。
「我もゆきたい」
諦めたように風魔が呟いた。
北風が吹いて風魔が消えると、そこにはよく手入れをされた庭園がいつものように広がっていた。
了(2012/08/10・2020/8/31)
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