ワルシャワで待つ

 破れた世界からアカギさんは戻ってこない。でも私も、もう彼を追いかけたりはしない。彼は彼の中の正義に従うことでしか生きていけないという意味が、私にもようやくわかった。だから彼を追いかけない。と、言うよりも、正直に言うと手のうちようがなかった。彼を連れ戻す切り札を持っていないのだ。
 アカギさんがくれたマスターボールでギラティナを手に入れると、それを見ていたアカギさんは両腕で頭を抱え半狂乱になってしまった。その時に初めて切り札を全て失ってしまったことに気がついた。気がついたけど、遅かった。過去を変えることはできない。もし私があと五年、いや三年でも、一年でもいいから早く生まれていれば、彼を説得する時間がもっとあっただろうし、例えあの瞬間を迎えてしまったとしても何か彼を助ける手段を持っていたかもしれない。涙が出そうになった。あの時はどうしてかはわからなかったけれど、後から考えれば、そんなのアカギさんが精神的に遠くへ行ってしまうことがわかっていたから泣きそうになったのだ。

「愚かね」

 シロナさんが破れた世界を出る間際、世界の奥に潜っていくアカギさんの背中を見てそう言った。それは私に投げかけられた言葉のようでもあり、後悔だけがあの世界に残った。

 ギンガ団の人たちは無事にアカギさんを見つけられただろうか。私はあれからあの世界に行くことができない。行って、アカギさんに会って、かける言葉がない。明確な目的を持って彼を必要としているギンガ団の人たちを羨ましく思うほどだ。私が、彼の心を動かすにはどうすればいいのだろう。

 頑張って考えてみても明確な答えはでなかった。だからリーグ内にあるシロナさんの部屋を訪れた。シロナさんは快く私を迎えてくれた。私たちは温かいココアを持ってバルコニーに出た。リーグの入り口はライトアップされていて夜でも昼間のように明るいけれど、関係者の寮は入り口と反対側にあるから人工的な明かりが少なくて星がよく見えて綺麗だった。
 白い息を吐き出しながらアカギさんのことを相談すると、シロナさんは珍しいものを見るような目つきで私を見てため息をついた。

「あなたって、どこまでも優しいのね。普通一般市民はあの男にそんな心配はしないものよ」
「……優しくないです。あの人のことを考えれば、ギラティナに挑むべきではありませんでした」
「でもギラティナをどうにかしなければこの世界は消えてしまっていたのよ?」
「…………」

 私が黙っているとシロナさんは一度大きく息を吐いた。シロナさんの白い息は空に昇って、視界に収まりきらないほどの星空に溶けた。
 そもそも、この幾億もの星とアカギさん、どちらかを助ければいいという選択をしてしまったことこそが元凶のような気がする。世界も、そしてアカギさんも助けられなければ意味がなかった。それなのに私はアカギさんを切り捨ててしまった。これから彼が私を好きになるはずなんてないと思うと、涙が出て、星が歪んだ。

「これからの人生小さなこと一つ一つに思い悩んでいたのでは、とてもじゃないけれど生きていけないわよ」
「……そんなに、小さなことじゃないです」
「アカギのことが?」

 頷くとシロナさんは笑った。

「好きなのね、アカギのことが」
「えぇ?」

 シロナさんは楽しそうに笑っていた。私は恥ずかしいやら、否定したい気持ちやら、でも本当はアカギさんが好きだから否定できない気持ちやらがごちゃまぜになって、なんだかよくわからなくなってしまってとりあえず笑っているシロナさんの肩を叩いた。

「なんで笑うんですかー」
「ごめんね。でもいいのよ、恥ずかしいことじゃないわ」

 むしろね、とシロナさんは言葉を続けた。

「むしろ、アカギにはあなたくらい優しい愛に溢れた子のほうがいいと思うの。でもアカギは怖いのね」
「怖い?」
「ヒカリちゃんの愛が、アカギには理解できないの。理由もメリットもないのに自分を愛してくれるヒカリちゃんが、お化けみたいに怖い存在に見えてしまっているのよ」

 頭に大きな漬物石が降ってきたような気がした。アカギさんには、私がお化けに見えているのか……。

「でも、その内、まぁアカギの場合何年かかるかわからないけど、ヒカリちゃんがお化けじゃないってわかるわよ」
「本当ですか?」

 すがりつくような気持ちでそう聞いた。自分がお化けに見られているなんて、とても気分がいいものではない。
 シロナさんは綺麗に微笑んで言った。

「彼は大人なんですもの」

 その言葉で自分とアカギさんの間にある絶対に埋まらない年の差を思い出した。その差が私を更に絶望的な気持ちにさせているのだ。何度私が大人ならば、と思っただろう。そうすれば私はもっとあの人の気持ちを汲み取ってあげて、最善の対処ができたのに。
 ため息をついて空を見上げた。数えられないくらいの星が、憂鬱を含んだ白い息を吸い取っていった。あの人が私をお化けじゃないと思うまで、どのくらいかかるだろう。三年だろうか、五年だろうか。なるべく早くこの距離が縮まればいい。星と同じくらい、今彼は遠くにいる。

END

09/11/06、修正10/01/19