××の嘘

 出会った当初から、争いのない世界を作ろうという話はしていた。
 そうなればいいですね。ボスの言う通りです。新しい世界を作りましょう。絶対にできますよ。
 そういう、当たり障りのない返答ばかりしていたら、いつの間にかボスの夢は具現化しようとしていた。爆弾の製作。伝説のポケモンの捕獲。どれも責任者の立場でプログラムを進めていたけれど、なんだか常に第三者の目線で皆を傍観していたような気もする。

「子供がうろついているようだな」
「……申し訳ありません。ただいま部下たちが懸命に捜索しております」
「フフ、まぁいい。この三匹たちにもう用はない」

 赤い鎖が計画通りの物になったからか、ボスは機嫌がいいようだった。口元に薄い笑みを浮かべてエムリットが入っているカプセルを、コツリ、と手の甲で叩いた。内部に気泡がたって、ゆらゆらと上部に昇っていく。それにつられるようにエムリットの口から空気がこぼれた。薄暗い研究室に響く水音はエメラルドグリーンのライトと相まって妙に神秘的だった。
 ボスはチラリと腕時計を見ると持っていた書類を私に差し出した。私はそれを受け取り社長室まで同行する。

「この後ホールで演説を行い、マーズとジュピターの二人を連れてテンガン山へ向かう」
「はい」
「その間、君にはアジトの管理をお願いしよう」
「わかりました」

 今後の予定を手短に説明した後、一呼吸置いてボスが言った。

「このビルを建てるとき、地主と揉めたことがあったな」
「……そうですね。そういえば、そんなこともありました」

 いきなりどうしたのかと思ったが、ボスはイスに深く腰かけ遠くを見るように壁の一点を見つめていた。疲れているのだろうかと思ったが、あまり過剰に反応して機嫌を損ねるのも嫌だった。

「懐かしいことを思い出した」
「そうですね。もうずいぶんと昔の話です」
「彼は今どうしているかな」
「……どうって」

 今思い出してもえげつないやり方だった。恨まれているだろう。それだけはわかる。そして今日のボスはいつもより口数が多い。(薬でもやっているのかな)一抹の不安が私の心に芽吹く。

「ボス」
「……なんだ?」
「何かありましたか?」

 ボスの目が私を捕らえ、窪んだ目元の深さにドキリとした。思わず自分の目元に手を伸ばす。

「サターン」

 ボスの声が、なんだか深い悲しみを纏っているようだった。いつだったか良い名前だと褒めてくれた、サターンという惑星の名前。

「私は間違ってなどいないだろう?」

 自嘲を浮かべたボスの表情に、胸の奥がチリリとくすぶるのを感じた。「当たり前です」と、まるでそれこそが宇宙の真理であると言わんばかりに大きく頷きながら私は答える。

「間違っていません」

 チリリとくすぶる。

「ボスは間違ってなどいません」

 私は平然としている。
 耳障りのいい言葉を選ぶのは得意だった。波風をたてないように空気を読むことは、組織の中で生きていく上で非常に重要だと私は思う。ボスは満足そうに笑ってくれた。ホッと胸を撫で下ろすと胸の奥でくすぶっていた何かも消えた。
 ボスがホールに向かってからトイレの鏡で自分の顔を見てみると、白熱灯に照らされた目の下にくっきりと隈ができていた。心なしか、瞼も腫れぼったいような気がする。研究所はいつも薄暗いから気がつかなかった。そういえば最近、ろくに睡眠をとっていない。自分の知っている自分の顔から随分とかけ離れてしまった自分の顔を鏡で見ながら「サターン」と、自分の名前を呼んでみた。ボスが褒めてくれた、私の名前。私と惑星の名前。

END

10/03/23