ブルー・シー・スター



「俺、アカギのこと知ってるよ」
 そう言うと予想通りヒカリは砂浜に落書きしていた手を止めて俺を見た。言葉の意味を考えているのか、口を開けたままぽかんとしている。砂浜に打ち上げられた流木の上で、共通の話題はなんだか少なかった。
 ヒカリは持っていた小枝を放り投げて、「なんで? どうして?」とまくしたててきた。俺はその質問に淡々と答える。
「ギンガ団とのことはシロナさんに聞いた。アカギは昔ナギサに住んでたから知ってる」
 俺の言葉を理解しようとしているのかヒカリは過剰にまばたきをしてみせた。波のせいだとは思うが、ヒカリがまばたきをするたびに沢山の光が瞳に反射して、それがちょっとだけ泣いているみたいだった。大きな黒い瞳が銀色に輝くたびにヒカリの、アカギへの思いが透けて見えた。ヒカリに何か話そうと思えば思うほど言葉なんか出なくって、つまらなそうにして見せるヒカリの気をひくための話題だったのだ。
 手近にあった小石を海に投げた。座っていたからか、それとも軽すぎたからか小石は思ったほど遠くまで飛ばず余計に気分が悪くなった。立ち上がって砂浜を歩いた。ヒカリも俺についてくるようで、パンパンと砂を払う音を背中で聞いた。砂を巻き上げないように慎重に歩くとヒカリが小走りで俺の隣に並んだ。
「アカギさんっていつまでナギサに住んでたんですか?」
「もう随分前だな。十年以上前」
「十年かぁ……アカギさんってどんな人でした?」
「直接喋ったことはないけど、噂だけは聞いてた。でかい家に住んでて、すげえ頭がいいって噂」
「へえ」
 ヒカリはもっと何か聞きたそうに相槌をうっていた。でも俺はそれを振り払うように、波打ち際をずんずん歩いた。自分で話を振っておきながら後悔していた。俺のことも、キラキラした目で見てほしかった。もっと色々と話をしたかった。ただそれだけだったのに。
 やけに口の中が乾燥して唾液が飴のように粘ついた。

 夜寝る前に、ヒカリがアカギのことを好きだと知ったのはどうしてだったかを考えた。記憶の糸を手繰り寄せてみると原因はシロナさんだった。
「この間ヒカリちゃんが家に来たのよ。あの子ってとっても優しい子よね。アカギのことが心配なんですって。恋してるのよ、ヒカリちゃん」
 そう話すシロナさんは空を飛びそうなほど浮かれていた。あの時のシロナさんは色んな意味で軽率だったと思う。でもきっとあの人もヒカリのことが好きだから、ヒカリに頼られる自分が嬉しくて舞い上がってしまったのだろう。その気持ちはなんとなくだけどわかる。
 ヒカリはアカギのどこが好きなんだろうか。顔? 性格? 女にしかわからないような魅力がアカギから出ている?
 そんなことは、どれもありえないような気がした。

 次の日家に来たオーバにそのことを話すと
「じゃあ逆に聞くけど、なんでお前はヒカリちゃんのこと好きなの?」
 と聞かれた。俺はオーバに買ってきてもらったパスタを茹でながらその質問の答えを考えた。オーバはテレビのチャンネルを次々に変えて「面白いのやってねえな」とぼやいていた。オーバの独り言を無視して、俺はさっきの質問に答えた。
「可愛いよなぁ。強いし、ポケモンにも優しくて、すごいトレーナーだよ」
「あ? あぁ、ヒカリちゃんの話ね」
「たまにお弁当とか持ってきてくれるんだ。一緒に食べましょうって」
「へー、そいつぁ優しいや」
 俺も買出しに行ってきたけど、みたいなニュアンスを含んだ相槌は流した。
「でさぁ、ヒカリはアカギのどこが好きなんだと思う?」
「知らねえよ。俺に聞かないで、ヒカリちゃんに聞け」
 それが出来てたら苦労しない。きっと繊細な恋心なんてこいつには一生かかってもわからないんだろう。腹が立ったのでオーバの分のパスタは少なめによそってやった。でも、「お、美味そうじゃん」と笑うオーバは俺の嫌がらせに気がついていないから、あまり意味がなかった。テーブルの上に乱雑に置かれた雑誌や飲みかけのペットボトルを床にどかして俺たちはパスタをすすった。
「オーバもヒカリと仲良いんだから、なんか聞いてないのか?」
「なんかって?」
「だからアカギの話とか、そういうのだよ」
「んー……」
 オーバはちょっと考えてから、「多分、ヒカリちゃんって世話焼きなんだよ」と言った。
 世話焼き、という言葉にあまり良い印象を受けなかったが、オーバに悪気はないようだった。俺はパスタを食べながら、黙ってオーバの話を聞いた。
「前にさみしがりやのパチリス連れてたんだよ、ヒカリちゃん。そのパチリス四六時中ヒカリちゃんにべったりしてないと気がすまないみたいだったんだ。そん時に『私こういう子放っておけないんですよね』って言ってた。そのときはただ単に優しい子だなぁって思ったんだけど、なんかお前の話聞いてると、ヒカリちゃんって出来の悪い子に構ってあげたくなっちゃうしっかり者のお姉さんって感じがするよ」
 パスタを咀嚼しながらその意味について考えた。俺は眉間に皴を寄せてジッとオーバを見つめた。
 嘘だって言え。
 そう念を送った。
 でもオーバは俺の視線を交わしながら黙々とパスタを食べ続けた。頑なに俺を無視するオーバの態度に、これ以上何をやっても無駄だと悟り俺も大人しくパスタをすすった。何か言い返してやりたかったけどオーバの言葉に反論の余地はなかった。しっかり者のお姉さん、そしてとびっきり出来の悪い男が、俺じゃなくてアカギだった。つまりそういう事を、オーバは言いたいんだと思う。
 オーバはさっさとパスタを完食してバラエティ番組を見て笑っていた。そんなオーバにムカついて、勝手にチャンネルをニュース番組に変えた。
「なんだ、見てたのに」
「いいだろ別に」
 なにもかも面白くなかった。ニュースキャスターは排水溝にはまってぬけなくなっていたコイキングが三百五十時間ぶりに救助されたと坦々と語っていた。

END
11/05/06